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ーAI以降の教育 Group intelligence時代へー

教育観光ツアー「ヌリ路」1日目 ”ソウル編 前半"

ご無沙汰しています!

久しくBlogを更新していませんでしたが、この夏は、韓国へ行く機会が多く、

「第4回日韓交流フェスティバルNurityo"ヌリッショ"」へ参加してまいりました!

その前後で開催された3日間の「教育観光ツアーヌリ路」へ参加は、「新しい出会い」と「新しい感動」が多い一時で、ぜひ、こちらのBlogで共有したいと思います。

ヌリッショ”Nurityo"は、

韓国語のヌリラNurira”享受する”と

日本語の”一緒に”が

ひとつになった言葉で、みんなが共に享受するお祭りです。

第一回は2015年4月。韓国の大邱市、スソン池を中心に開催されてから、もう4回目となります。

 

嫌韓反日で対立する日韓関係、そして北朝鮮のミサイル問題などで半島は緊迫していますが、そんな中、どんな条件状況もで変わらず、民間から新しい教育の力で国と国を超えていこうとするムーブメントがこうして続いていることは、未来からみたら貴重な歩みであると思います。

 

そこでみなさんに突然ご質問ですが

「教育観光ツアーヌリ路」をご存知ですか!?

 

この「ヌリ路」は、これまでの「教育」や「観光」のイメージとは全く次元の違うツアーです!次世代を先取りした教育観光なんです。

 

ヌリ路について、まずは簡単なご紹介から↓

「ヌリ路」が生まれた背景は、韓国の若者が中心になって立ち上げた「NURIRA PROJECT(ヌリラ プロジェクト」が誕生した事がキッカケです。「ヌリラ」という言葉は韓国語で「享受しよう、満喫しよう」という意味です。若者が幸せに生きているのか、青春を満喫しているのか、未来に希望を持って生きているのか、諦めるのではなく正しい問題意識を持っていくことで、自由と尊厳と若さのある人生を満喫し、新しい関係性を作っていくことを目的としたプロジェクトです。

 

もっと詳しく知りたい方は、こちらの3つのサイトから↓

第114回 HITOTSU学公開講座 (2016.1.10) : HITOTSU学公開講座

第115回 HITOTSU学公開講座 (2016.2.7) : HITOTSU学公開講座

ヌリ路!-新しい出会いの時代- : HITOTSU学公開講座

 

今回、韓国での3日間のヌリ路をガイドしてくれるのは、「折笠守拙」さんです。

とにかく人を感動させる達人です!!

また、一緒にいて笑いが絶えたことがないくらい面白い。

筑波大学で歴史を専攻されていたので博識なのですが、今ここの自分の日常や人生とつなげて歴史を解説してくれるので、とても歴史を学ぶことが楽しくなります。

折笠さん↓

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 みなさん

「教育」と聞いて何を思い浮かべますか?

それでは「観光」と聞いて?

さらに「路」と聞いて?

 

折笠さんからは、いつも鋭い質問がどんどん飛んできます。

 

小学校の教師の経験がある私にとって、真っ先に「修学旅行」が思い浮かんでしまいました。最近は大人の修学旅行というのも流行っているみたいですが、

どちらにしろ、今までの教育とか観光というのは

「人間5感覚認識、暗記教育をベースにして、いかにたくさん知っていることを増やして楽しむか」

というイメージがありました。

 

私自身の学生時代の「教育」では、知っていることが良しとされ、正しく読み書きができ、計算ができ、それで試験にパスしていく、という個人主義の暗記教育。知識を応用して考えていくディスカッションなどは大学に入ってからで大変苦労する。

また「観光」も、社会人になってからは、つらい毎日の中で、観光地と言われる綺麗な風景、おいしい食べ物、温泉などに、ワイワイ!となり、「休みが恋しい」と現実逃避の一時的な楽しさ、のような。

そして「修学旅行」も、課題を設定しても、どちらかというと一部の仲良しの友達と、たわいもない話や馬鹿なことばかりやった思い出など。

教師になってからは、学習も大事だけど、怪我やトラブル対応が大変だったので、「とにかく問題だけは起こさないように!」とやんちゃな児童に釘打つような修学旅行の引率。

とはいえ、仕事において、自分の好きな分野の研修や旅行では、知っている世界がどんどん広がり楽しいは楽しいのですが、自分の経験や、知っている世界が増えて、逆に優越感や安心感が強くなり、人間関係が深まったり、人間性が豊かになったりということにはつながらない。

とにかく、そんなイメージでした。

 

ですが、この「教育観光ツアーヌリ路」は、

そのベースになっている「教育」が、とにかくこれまでの教育とは全く違うのです!

それが、「認識技術(観術)」という新教育!

 

認識技術については、これまでにも紹介しているので詳しくは割愛しますが

シンプルにいうと

知っている世界をAll zero化できる技術」です。

全部がzero化されたところから分離が生まれるメカニズムが理解できるので、様々な複雑を全部理解でき、真に立場チェンジができるようになります。

0=∞=1 この数式で表される世界が、人間一人ひとりがもつ本来の無限の可能性であり、人工知能では開発できない教育分野です。

詳しく知りたい方はこちら↓

「観術-かんじゅつ-」とは? | NR JAPAN株式会社 -認識が世界を変える-

 

認識技術の創始者Noh Jesu氏」に出会ったのが8年程前ですが、当時、これからの時代に必要な人間教育を模索していた時に、この教育を知り、「これだ!」と確信しました。

 

Nohさんから認識技術を学び、All zero化したところから、宇宙自然と歴史文明の結ばれる仕組みが理解できたときに、

なぜ今の「日本」がこうなったのか

なぜ今の「韓国」がこうなったのか

なぜ今の「アジア」がこうなったのか

なぜ今の「世界」がこうなったのか

その歴史の解析が全く変わり、これまで分からなかった、日本と韓国が見えてきたのです。

 

実は、以前、私は韓国やアジアに対して、教師になるまではそんなに関心がありませんでした。ですが、最初に赴任した小学校が、地域柄、韓国籍や在日の子どもたちが多く、他にも中国やフィリピン、ブラジルなど多国籍な子どもたちを受け持つようになったことがきっかけで問題意識を持つようになりました。どちらかというと韓国やアジアに対する偏見がまだまだ残っていた地域だったと思いますし、先生方の中でも思想的な部分で、偏見をされる方がいました。また、歴史教育も偏りがあり、これでは仲良くなるはずがない、これを解決しないといけない、とそんな問題意識から、「日本人」「韓国人」などのIdentityから物事を判断するのではなく、お互いの国を理解し合って、その偏見を取り、そして同じ時代を生きる国際人としてのIdentityを育んで、未来を生きる力を子ども達につける必要があると思い、「国際理解教育」という分野に力を入れようとしていました。

 

ですが、

歴史教育」というのは、自分の国の「解析」や、戦争で勝利した国の「解析」でつくられてしまうことも無きにしも非ず。

また、どんなに違う解析をしようと思っても、「日本人」というIdentityや、既存の観点でどうしても、判断してしまいます。これまでに学んだ知識と比較しながらジャッジしてしまい、完全に相手の国になりきって理解する、ということは大変難しかったのです。

 

そんな中、特に私を変える印象深いエピソードがありました。

教師2年目の時に、「朝鮮学校」から転入してきた兄弟がいました。私のクラスには弟くんが転入し、家庭訪問の際に、お母様がこうおっしゃったのです。「この子は日本で生まれ、これから日本で生きていきます。日本人としていきて欲しいのです。ですから、日本の小学校へ転入させたのです。」と。

当時の私は歴史に精通しておらず、どんな思いや決断でお母様が転入させたのかを私はよく理解はできなかったのです。ですが、お母様の瞳が、ものすごく何かを訴える瞳だったのだけが強く胸に残りました。

そして、しばらくして、お兄ちゃんのクラスで、いじめが起こりました。参観日に、「僕はいじめられています。お前達に俺たちのこの気持ちがわかるもんか!」と皆に訴えたそうです。その後、なかなか問題は解決せず。

10歳の男の子が、「お前達にわかるもんか!」と叫んだ気持ちがわからない大人であることを、とても恥ずかしく思い、そしてお母様の瞳が胸にささり、そこから必死で朝鮮半島の歴史を学び出したのです。

 

当時、実際に、日本の旅行会社のツアーで、韓国内と38度線付近を観光するツアーに参加しました。38度線付近に吊るされた、離散家族のメッセージや折り鶴を見て、とても悲しかったのですが、当時の私には、そこにある深い涙と、日本がどれだけ関係しているかを理解することはできなかったのです。

 

それから時が経ち、私は認識技術を知り、Nohさんと再び38度線に訪れたことがありました。

その時、やっとわかったのです。「なぜ1つだった半島が分断されたのか」「同じ民族なのになぜ戦わなければならなったのか」「そこに日本がどのように関係していたのか」「なぜ反日になり、嫌韓が生まれているのか」「どれだけ深い傷と涙があったのか」と。

 

そして、10歳の男の子が訴えた「お前達に俺たちの気持ちがわかるか!」といった言葉の意味と、お母さんの瞳の背景が、やっとわかったのです。

 

実は、反日嫌韓の感情というの、実はこれまでの「歴史教育」によって作られてしまっていることが大きな要因に挙げられます。それを一旦0化し、お互いに立場チェンジして背景をとことん理解し、そして新しく結び直すことができるのを「新しい教育」で可能にしている「認識技術」は、私にとって奇跡でした

 

その後、逆の立場で、反日教育を受けた20代の韓国の若者が、認識技術を学び、同じように反日感情を0化し、日本を深く理解し、その歴史の涙を理解していった姿を見て、私は本当に驚きました。そのメンバーがNURIRA Projectのメンバーです。

 そして、折笠さんは、その観術の講師でもあります。

 

前置きが長くなりましたが、

そんな「教育観光ツアーヌリ路」は、とにかくすごいんです!

 

1日目はソウルヌリ路。ソウルの近代化の歴史を巡ります。

午前中は、徳寿宮、ペジェ学堂歴史博物館

午後は、ソウル歴史博物館

を回りました。

 

ソウルの中心部、明洞にある、 明洞聖堂で待ち合わせ。

その前に、NR KOREAのオフィスがあるビルへ見学へ。

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アメリカのWe workという世界展開しているコアワーキングオフィス。

まだ日本にはないそう。

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共有スペースがかなり広く、世界のいろんな会社の方々と話ができます。

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ウォーターサーバーや、コーヒー、ビールなども飲み放題

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明洞を一望できる風景。トイレも綺麗です。f:id:kotomiyagawa:20170906102559j:plain

こんな空間なら、会社に行くのが楽しくて仕方ないだろうし、アイディアも活発に生まれるでしょうね。 アメリカの働き方を感じながらオフィスを後にしました。

 

さあ、いよいよヌリ路始まりです。

「近代とは?」

「中世とは?」

「いつから日本?」「なぜ日本?」「いつまで日本?」

などなど、折笠さんからは「質問」がどんどん飛んできます。

 

同じ現象でも、それに対して「受動的」に関わっていくのか

それとも「主体的に」疑問をもって関わっていくのか

生き方が大きくかわりますね。

 

しばらく歩いていると、日本が統治していた時代の建物がいくつか残っています。

こちらは、統治時代に建てられた元朝鮮銀行。辰野金吾の設計だそう。今は貨幣金融博物館です。↓

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歴史の「路」自分の「路」をつなげていくのが「ヌリ路」であり、

「新しい出会い」がテーマでもあります。

1910年から、1945年の35年間も、朝鮮半島日韓併合で一つだった歴史。その面影を感じることができるわずかな場所。当時に生きた日本の人々、朝鮮の人々 を想像しながら、路を歩みます。

私の祖父は、大学時代はソウルに住み、京城の歯科大で歯科医になる勉強をしていました。それから卒業後は戦争でフィリピンへ送られ、生き抜いて終戦後、歯科医として開業しできたのは29歳だったそうです。生前、戦争の話はよくしていた祖父ですが、大学の話はほとんど聞いたことがありませんでした。若き日の祖父は、当時きっとこの辺りをたくさん歩いたでしょう。何を感じ、どんな未来を思って生きていたのだろう、今の私に対して何と言うだろうな、などなど、「妄想」しながら、祖父との出会い、心の対話です。

 

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↓こちらは、ソウル図書館。日本統治時代に京城府の庁舎として建てられたそうです。

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そのすぐ近くに、あるのが「徳寿宮」!

 

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朝鮮王朝の歴史といえば「景福宮」ですが、こちらの「徳寿宮」には、朝鮮半島の近代化がよくわかる場所となっています。

豊臣秀吉の時代に、秀吉が燃やしてしまった王宮の代わりに、臨時の王宮となっていたこの場所。久しぶりに日本が来たと思ったら燃やして行かれた立場の気持ちとして考えてみます。日本にいたら秀吉の観点しか持てませんが、ヌリ路では、どちらの立場にもたって考える視点を養っていきます。

 

朝鮮王朝の歴史的な建物の奥を進むと、何と近代的な西洋建築が現れます。

 

なぜ、このような西洋建築があるのでしょう?

何をしていた場所でしょう?

 

折笠さんの質問で、皆が考えます。

ヌリ路では、統観した観点から、歴史を解析していくので、19世紀末から20世紀初頭に起きていたアジアをめぐる西欧列強の覇権争いの中で苦悩した大韓帝国の歴史を想像して考えることができました。

 

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朝鮮というIdentityに立ってみれば、全く新しい西欧列強の威力と出会い、朝鮮王朝が近代化を選択し大韓帝国となった期間はわずか10年。その間、高宗始め、リーダーは、ロシア、イギリス、清、大日本帝国、アメリカ、フランスなどとどのような気持ちで意思決定をしなければならなかったか、大韓帝国の立場になって考えてみます。

 

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日本にいたら、日本の観点でアジアの近代化を理解しようとしてしまいがちです。今回、この場所では、アジア全体を襲う西欧列強の様々な国の立場にも立ち、激動の近代化の中で、朝鮮がどのような選択をしたのか、その背景を立場チェンジできる時間でした。

 

ソウルヌリ路は、まだまだ続きます!

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